くるくる回る理容室のサインポール「赤青白」三色の由来

サインポールとは

サインポール(signpole)は理容所(一般的には床屋、理容室、散髪屋、理髪店とも呼ばれている。)を示す細長い円柱形の看板。赤、白、青の三色の縞模様(レジメンタル・ストライプ)がクルクルと回転する。

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サインポールの他の呼び方

有平棒(あるへいぼう)

安土桃山時代にポルトガルから伝来した砂糖菓子有平糖(茶道の菓子として用いられることが多いハードキャンディ)のひねりを加えた形がよく似ていたことから、有平棒(あるへいぼう)と呼ばれた。

有平糖(アルヘイとう、ありへいとう)とは、砂糖を煮て作られた飴の一種であり、南蛮菓子の一つである。金平糖と共に、日本に初めて輸入されたハードキャンディとされている。阿留平糖、金花糖、氷糸糖、窩糸糖とも呼ばれる。

三色ねじり棒(看板)

見たままを言葉にした廃れつつある和風な呼び方。

バーバーポール(barber’s pole)

英語圏ではバーバーポール(barber’s pole)と呼ばれています。英語のバーバーは「ひげ」を意味するラテン語のバルバ(barba)から来ているもので、「ひげを剃る」という意味です。理容師は現在のように髪を切って整える仕事というよりも、ひげを剃ったり、カツラを調製したりする仕事でした。

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三色「赤」「青」「白」の由来は?

床屋外科医(Barber-surgeon)の誕生

中世ヨーロッパでは修道院は病院も兼ねていました。医療は僧侶の仕事でした。1092年、ローマ法王によって「なんか見苦しいから僧侶はひげを綺麗に剃りなさいね」との法令が出されたことから僧侶はお互いの理髪を行うようになりました。また修道院は髭を剃らせるために外部から床屋を雇いました。これによって教会と理髪師の密接な関係が始まります。日常的に髭を剃る床屋は刃物の扱いに慣れていました。そこで僧侶が修道院で行っていた外科手術の助手を理髪師に依頼するようになります。瀉血(しゃけつ)やケガ、骨折、やけどの治療、デキモノの切開、手脚の切断、抜歯などを手伝う理髪師は理容技術と外科技術を兼ねた理髪外科医、床屋外科医(Barber-surgeon)と呼ばれるようになっていきます。

神聖なる教会は血を忌む

ところが1163年、またもやローマ法王によって「教会の中で血を見せちゃ駄目だよ」という趣旨の法令が出されました。当然のことながら外科手術は流血します。修道院内での外科手術は禁止。僧侶は教会で外科手術を行うことができなくなりました。そのため僧侶は内科の治療に専念し、外科手術はそれまで助手だった理容師にまかされるようになり、修道僧達は床屋に外科技術を託しました。

サインポールの原型は瀉血(しゃけつ)に深く関わる説

教会から独立して外科手術を行うことになった理髪外科医が当時さかんに行なっていた治療法のひとつに「瀉血」がありました。瀉血とは人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を求める治療法の一つです。この当時は「体の悪い部分には悪い血が集まる」と考えられていました。そこで血を意図的に出血させ、悪いとされる血を抜いて治療を行っていました。また、ヒルを使って血を吸わせる方法をとることもありました。

瀉血(しゃけつ)の具体的な方法は、患部を切開して血を抜き取る際に、患者に棒を握らせ、腕を固定し、そこを伝って血が受皿に落ちていくようにしていましたが、握らせた棒にも血が伝わるため、それを目立たなくするために、その棒は赤く塗って使用するようになりました。瀉血治療が終わると患者の出血を止めるために包帯を使用しましたが、当時の包帯は非常に貴重なものだったので、何度も洗濯して再利用されていました。患者に握らせていた赤い棒を洗浄し、傷口に巻いた白い包帯を洗濯し、一緒に店先に干します。赤い棒にらせん状に白い包帯を巻きつけて干していたのか、吊るして一緒に干していたら、たまたま風が吹いて、らせん状に巻きついたのか、赤と白のらせん模様の姿が現在のサインポールのデザインになったと言われています。赤い理容外科医の棒(barber-surgeon’s pole)と白い包帯がサインポールの原型となった説です。

赤と白。残る「青」はどうなったの?

これは理髪師と外科医の組合が分離したのがきっかけとなります。外科、歯科などが進歩してくると、未熟な理髪外科医が問題視されるようになりました。正式な医学教育を受けた医師は理髪外科医は他の医師より劣った存在として軽蔑していたようです。理髪外科医の「重症患者取扱禁止令」が出されたり、次第に理髪外科医の外科手術に制限が加えられ、理容外科医と医師の間で長期にわたり取権闘争が繰り広げられます。そしてついに外科医団体の突き上げもあり、1745年、ジョージ2世は「理容と外科を分離させる法令」を出しました。その時に理髪師は赤・青・白の看板、外科は赤白の看板を掲げるように決められたため、理容店の看板は今日の赤、白、青の三色となったのです。

その他の説

「赤は動脈、青は静脈、白は包帯」説

赤は動脈、青は静脈、白は包帯って聞いたことがあるけど、違うの?動脈と静脈が発見されたのは、イギリスの解剖学者、医師であるウイリアム・ハーベーが「血液は心臓から出て、動脈経由で身体の各部を経て、静脈経由で再び心臓へ戻る」という血液循環説を発表した1628年であり、12世紀に血管を赤と青で分けた表現を使うことは歴史上考えられないという指摘があります。

フランスの国旗説

1815年のワーテルローの戦いで、フランス国旗を巻き付けた棒が野戦病院に立てられたのが起源とする説。確かにフランス国旗とサインポールは同じ色ですね。

アメリカの国旗が関係している説

サインポールは元々中世のイギリスで、当時の理髪師が外科医も兼ねていたことから血液を表す赤と包帯を表す白の2色で生まれた。理髪師と外科医を区別するため理髪店は赤白に青を加える動きもあったが定着せず。その後アメリカで同国の国旗(星条旗)のカントンの色である青が加えられたものである。という説。

サインポールを創案したメヤーナキール

サインポールは、1540年頃、パリの外科医メヤーナキールが創案し、彼の医院の看板に用いたのが始まりです。理容師が外科医を兼ねていた歴史の中で、彼は医師から理容師になった人物です。日本では東京 常磐橋の側に在った、「西洋風髪剪所(かみはさみしょ)」で、明治4年に用いたのが最初となります。

サインポールは世界共通のマーク

メヤーナキールが創案したサインポールは、彼の門下生が真似をし、理髪外科医の間で広まっていきました。現在では、イギリスなど一部の国では2色ですが、赤白青の3色のサインポールは、散髪屋を示す看板として世界共通のマークとなっています。国際基準化しているわけでもないのに、メヤーナキールが創案したデザインは世界中に広がって行ったというのは驚きの一言です。

理容師は外科医として活躍後、ファッション業界へ

理容の歴史をたどると床屋の象徴サインポールになぜ医療の意味が込められた説があったりしたのか理解できましたね。昔々、理容師は外科医として活躍しました。その後、カットやパーマ、カラーリング、シェービングなどの理容技術をもって人を美しくするという美的感覚を働かせたファッション業界へと推移していき、現在の理容室となっています。サインポールの由来については、色々な説がありがますが、個人的には瀉血(しゃけつ)説が信憑性が高いのではないかと思います。

余談ですが、理容所のことを床屋、理容室、散髪屋、理髪店、色々な呼び方がありますが、「床屋」は放送禁止用語なのだそうです。なぜなのでしょうか?「床」という言葉が性的な意味合いも持つのかもと想像しますが、歴史を辿れば、そういったことは無関係だということがわかります。


*サインポールの由来には諸説あり、かつ明文化された記録が存在しません。よって由来の調査はとても困難です。内容が異なる説があったとしても、一概に違うとは言いきれません。

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